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千日回峰行の堂入りを失敗したら現在では?過去には自害した人がいた?

千日回峰行の堂入りを失敗したら? 過去には自害した人がいた?
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千日回峰行-せんにちかいほうぎょう―と読みます。

比叡山で行われる天台宗の修行のひとつで、5年に渡る修行ののちに行われます。

最も過酷と言われる堂入りを失敗すると自害するという掟があるようですが、これまでに自害した人はいるのでしょうか。

それを承知で修行する心構えは既に人間の境地を越えているのではと想像します。

今回は「千日回峰行の堂入りを失敗したら現在では?過去には自害した人がいた?」と題してお届けします。

 

Contents

千日回峰行の堂入りを失敗したら現在では?

厳しい規律のもと行われる修行に失敗したら、どのような結末が待っているのでしょうか。

 

千日回峰行とは

そもそも千日回峰行とはどのような修行なのでしょうか。

 

目的

悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただくことを理解するため。

 

スケジュール

修行を行える期間が5月から9月までと定められているので9年もの歳月を要します。

その内訳はどのようになっているのでしょう。

 

最初の9年間

毎日の起床は、前日の23時。(前日?そう、起きるのは前の日なのですね。私はまだ寝てもいません。)

滝行のあと、装束を整える。

おにぎり2個とお水500mlを持って0時半に急斜面や断崖絶壁を越えて本堂へ向かいます。

本堂へは朝8時半に到着。

持参したおにぎりを食し、来た道を戻り、麓への到着は15時半。

道中にある118か所の神社や祠で般若心経を唱えつつ、勤行をしながらひたすら歩き続けます。

1日で48kmの山道を16時間かけて往復したあとは、洗濯などの身辺整理をし、19時頃から仮眠をとります。

当日の23時には起床となっていますので仮眠程度にしかならないです。

そして、また歩き始める。。

これを4か月間、毎日行い、9年かかります。

実際には1000日ではなく通算975日です。

残りの25日は、一生をかけて修行しなさいということだそうです。

本堂への往復距離は通算4万8千キロにもなります。

 

堂入り

その後、堂入りします。

  • 飲まない
  • 食べない
  • 横にならない
  • 寝ない

という四無行をひたすら真言を唱え続けながら9日間行います。

一度始めると離脱はできず、辞める方法としては自害しかないとか。。。

強い意志に裏付けされないと到底できません。

堂入りを終えた僧侶は「生き仏」と呼ばれ、人々を導く阿闍梨(あじゃり)の名が授けられます。

 

場所

滋賀県と京都府にまたがる比叡山にて行われます。

堂入りは無動寺明王堂で行われます。

歴代の阿闍梨たちは千日回峰行を終えた後、京都御所を訪れ国家と人々の安寧を祈ります。

 

食事

千日回峰行の間は毎日おにぎり2個とお水500ml。

堂入りすると9日間、飲まず食わずとなります。

 

服装

未開の蓮華(れんげ)の葉をかたどった笠をかぶり、白装束に草履履きです。

死をも覚悟しなければなりませんし、自害に備えてスタート時から既に白装束なのです。

ほかに下記のものを常時携行します。

  • 死出紐(自害用のひも)
  • 降魔の剣(自害用の短剣)
  • 三途の川の渡り賃である六文銭
  • 埋葬料10万円

亡くなってしまうことを想定しているものばかりなのですね。

 

トイレ

堂入り後は、身の回りのお手伝いをしてくれる助僧に手伝ってもらわないとトイレへもいけない状態になります。

飲まず食わずなので最後のほうは小も1日に1回程度、大は9日間で1回程度になるようです。

 

千日回峰行を失敗したらどうなる?

高い志を持って修行を始めてはみたもののこのように過酷な修行です。

全うできなかった場合には、どのような運命が待ち受けているのでしょうか。

 

事前の覚悟

始めるに当たっては責任と覚悟と何より熱い信仰への真正面から向き合う姿が必要と感じます。

信仰と魂をかけた行に反した場合、それは残る道は自害しかないのかもしれません。

現代にあって、そのような状況にない私などはあまりにも選択肢が無さすぎて過酷だと感じますが、まっすぐに進行している中にあっては極当然であり自然なのでしょう。

 

遂行不可となった場合

本来は、自害するのが掟となっているようです。

しかし、いかなる理由があろうと、行を途中で放棄したものの名前は伝えられない…と、達成者の方はおっしゃられています。

実際には、失敗したら死ぬ…むしろ、自害に限らず事故や病などでの死意外の道がないということです。

それぐらいの覚悟で臨まないと、この過酷な行の達成はできないと言う戒めでしょう。

大峰千日回峰行の2人目の満行者となった塩沼亮潤大阿闍梨は次のようにおっしゃっています。

「万が一途中で行をやめざるを得ないと判断したならば、所持している短刀でもって自ら腹を切り、行を終えるという厳しい掟があります。」と。

とはいえ、現代で強要した日には罪に問われます。

そういう掟の厳しさや覚悟を強く意識して、そのつもりで臨むべきということなのでしょう。

 

千日回峰行の失敗で過去には自害した人がいた?

多くの責任と期待を背にした千日回峰行を失敗した際には、自発的にもしくは責任追及などが過去にはあったのでしょうか。

なかでも最も重い自害という運命をたどった方はいたのでしょうか。

 

千日回峰行の達成者はどのくらいいる?

この過酷な千日回峰行を達成した「北嶺大先達大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)」と称される満行者は何名ぐらいいるのでしょうか。

比叡山延暦寺の焼き討ちにより史料等が消失しているため正確な人数はわかりませんが、50人を超えているようです。

戦後では十数人のようです。

最近では、50番目の達成者である光永圓道大阿闍梨や仙台市の慈眼寺住職をされている塩沼亮潤大阿闍梨や二度の満行をされた酒井雄哉大阿闍梨などが有名です。

 

千日回峰行を失敗した人は自害したのか

掟とされるものでは「自害」となっています。

白装束や刀などの携行品から見てもその準備は万端です。

しかし、上述したとおり「いかなる理由があろうと、行を途中で放棄したものの名前は伝えられない」とされているためか、その事実を確認することはできませんでした。

ただし、行の過酷さから自害ではありませんが、命を落とされた方はおられるようでした。

 

 

まとめ

ふとしたことから「千日回峰行」や「堂入り」を失敗したら?過去には自害した人もおられたのだろうかと気になり、調べてみました。

修行を行っている方へ想いを馳せ、その方々の足元にも及びませんが、心が少し痛みつつ、きりっとした感覚があります。

まだまだ調べ足りないところがあるかもしれませんが、今後も精度を上げていきたいと思います。

今回は「千日回峰行の堂入りを失敗したら現在では?過去には自害した人がいた?」と題してお届けしました。