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串カツだるまの社長の年齢は?赤井英和との関係も紹介

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串カツだるまの社長さんは以前は、石油販売会社で副部長をされていた上山勝也(うえやまかつや)さんとおっしゃる方です。

浪速のロッキーの愛称を持つ元プロボクサー赤井英和さんからの「だるまを継いでくれ」という一本の熱い電話から人生が変わり始めます。

断れない関係性の中、串カツだるまを継承し人生が変わったということですが、そこまで影響力のある赤井英和さんとはどのような関係なのでしょうか。

串カツだるまは今や大阪や京都に16店舗も展開するまでになっていますが、現在、上山社長の年齢はおいくつなのでしょうか。

あの安部元首相にも食べ方について注意をしたというエピソードも含めて「串カツだるまの社長の年齢は?赤井英和との関係も紹介」と題してご紹介します。

 

Contents

串カツだるまの社長の年齢は?

串カツだるまの社長上山勝也さんは、1961年生まれです。

今年2023年に誕生日を迎えて62歳になります。

2001年11月に串カツだるまを引き継いでいますので、このときにも誕生日が来ていれば40歳の年です。

石油販売会社で副部長をされていたということでもありますし、当時されていたお仕事はのりに乗っていた時期ではないでしょうか。

あれから21年経ち、経営者としても料理人としても素人からここまでの事業拡大には目を見張るものがあります。

 

コロナ禍の現在

60歳目前、コロナが猛威を振るいます。

コロナ前の6割まで売り上げも減少したそうです。

コロナがもたらす食文化への影響は大きく、串カツを「ソースに漬ける」から「ソースをかける」へ変わったそうです。

なので今はあの有名な「二度漬け禁止」もありません。

寂しい変化ですが、やむを得ません。

 

安部元総理注意される「二度漬けはあきまへん」

2014年4月18日、多くのSPに守られ物々しい雰囲気のなか当時の安部総理が通天閣店に来店しました。

上山社長53歳の年でした。

安部元総理がどて焼きと串カツを召し上がろうとした時のこと。

上山社長の「総理にお願いがあります。」との言葉に、そりゃあ周りがサーッと引きました。

「ソースの二度漬けは禁止です。大阪の文化です。」の言葉に笑顔あふれる店内になりました。

一生の思い出になるエピソードです。

約30分ほど滞在し、串カツは10本ほど召し上がったそうですよ。

 

串カツだるま社長とプロボクサー赤井英和との関係は?

電話一本で串カツだるまの4代目に就任させた元プロボクサー赤井英和さんと現上山社長との関係は、どのようなものでしょうか。

 

浪速高等学校での出会い

出会いは、浪速高等学校ボクシング部の先輩後輩。

赤井が2歳上の先輩のところ、1年留年したので実際は1学年先輩となりました。

特に指導者もいないボクシング部で、赤井が町のジムへ通い身に付けたことをボクシング部に還元するということを繰り返した結果、全国レベルまで押し上げたといいます。

ボクシング部の帰りには、上山社長は赤井先輩を家の玄関まで送り届ける毎日だったそうです。

赤井は絶対的な立ち位置にあり「兄貴と舎弟のような関係性は今も変わらない」と上山社長は振り返ります。

時には「おい!行くぞ!」と言われれば「わかりました!」以外の返事は用意されているはずもなく言われるがまま、たびたび当時の「だるま」にも立ち寄っていました。

 

高校卒業後

赤井は、高校3年生のときにライトウェルター級でインターハイ出場し優勝、アジアジュニアアマチュアボクシング選手権も優勝した実績を持ち、近畿大学へと進学しています。

高校卒業後も赤井との付き合いは続き、赤井が大阪へ帰ってきたときには食事に誘われていたそうです。

もちろん惹きつけてやまない「だるま」へも足を運んでいました。

ボクシング部の先輩、後輩という視点では強弱の関係は強まっていったのではないかと思いますが、帰省ごとに呼び出されるのは嬉しく絆が深まったと想像します。

 

だるまが閉まっている

ある日、帰省の折にいつものように「だるま」を訪れた赤井。

閉まっている。。。

翌日、出直すもまた閉まっている。。。

これは、ただごとではないと思った赤井が、三代目のお宅を訪問したところ「病気にかかってしまったので、店を閉めようと思う」と告げられます。

あの味が無くなるなんて!

懇願したのでしょう。

「店を閉めないで~」

「じゃあ、赤井さんやってください」と言われてしまいます。

そこで赤井の頭に浮かんだのが、NOと言う選択肢を与えていない後輩の上山さんだったのでしょう。

 

後輩上山さんロックオンされる


「お前、継いでくれ!とにかくやってくれ!!」

当時の上山さんは、職場で副部長という立場で収入もかなりありましたし、家のローン

だってある。娘もまだ中学生だし。。。と考えるも。。。

残念ながら「YES」以外の答えは与えられていません。

3坪しかない串カツ屋を継ぐ覚悟たるや相当なものだったと思いますが、赤井先輩の前では答えは決まっていながらも、やはり守りたい味だったということがあったのでしょう。

上山社長は回想します。

自分が元々料理人ではなかったからこそ、工夫することなく味の再現に忠実であり、そのままの味を守ることができたと。

世間では、赤井先輩の命令に従っただけと言われたりもしましたが、「やるからには大きくしよう!大阪を代表する串カツ屋にしよう!赤井先輩の大事な店だ!!」と崇高な覚悟を決めます。

その傍らで赤井先輩はつぶやきます。

「俺はただ、だるまの串かつを食い続けたかっただけ」

お互いの胸のうちの落差が面白すぎます。

 

上山社長の信念

上山社長は言います。

赤井先輩との関係性で教えられたのは「私利私欲を出さないこと」だと。

そして、飲食店で成功する秘訣は独りよがりにならずに自分の店舗をいかに客観的に観察できるかです。

美味しいと思ってもらうのは自分ではなくお客さんで、万人に味を認めてもらわないといけません。

さらにビジネスとなると味だけではダメで、接客の全てのジャンルを自分のものにしないといけないんですと語っています。

全くの素人からここまで確立した信念を持つに至ったということが、これまでの心構えを物語っているようです。

 

まとめ

安部元総理の来店により世に広まった「二度漬け禁止」も時代の移り変わりによってなくなりましたが、串カツだるま上山社長の信念は変わることがありません。

初代女将から「安価でお腹いっぱいになり、仕事の合間にさっと食べられるもの」として提供されてきました。

大阪の食文化にある「人情」は、赤井英和との関係においても育まれてきました。

今回の記事を書くに当たって、年齢を重ねるごとに言葉では表現できない温かみを感じることができました。

赤井さんは現在も店を訪れているようです。

もしかしたら偶然出会えるかもしれませんね。

今回は「串カツだるまの社長の年齢は?赤井英和との関係も紹介」と題してお届けしました。