今、日本中で盛り上がっているWBC(World Baseball Classic)。
その中でも佐々木朗希投手には、より声援を送りたくなります。
なぜならお父さまや祖父母が12年前、震災で犠牲になっているからです。
あの悲しみの3.11から12年後の同じ日、WBCの舞台に立つ栄光に輝いています。
ご家族の職業や家族構成を含め、これまでの軌跡に想いを馳せたいと思います。
今回は「佐々木朗希震災で父が犠牲に?職業や家族構成は?」と題してお届けします。
Contents
佐々木朗希震災で父が犠牲に?
3/11特別な日。
この男が投げるという事が大きな意味を持つ。
そしてきっと今日は震災で亡くした父、祖父母はきっと見てる。チェコ代表に真っ向勝負!世界に翔け佐々木朗希!
#佐々木朗希 pic.twitter.com/XJk9Df0j0J— たけっちゃま🍩️3/8.18.4/4.4/21(3/15青山) (@Ogiiiiiiii_1000) March 10, 2023
震災があった年に甲子園に出た高校球児大谷翔平と、その勇姿を被災地から眺めていた野球少年佐々木朗希が12年後の3.11のその日に日の丸を背負って世界の舞台で戦うなんてさ
こんな漫画のような選手二人とストーリーが岩手から生まれるなんて
宿命って運命って本当に見えない糸で繋がってるんやなぁ… pic.twitter.com/YKEJWIUSyy
— 沖縄しゅーきち( ´∀`)σ (@shu_ki_chi_) March 11, 2023
佐々木朗希投手は、岩手県陸前高田市で被災しています。
小学校3年生でまだ9歳の年でした。
地震発生、その時佐々木朗希投手やご家族は?
朗希少年は、地震発生時には陸前高田市内の小学校にいました。
小学校近くの高台へ避難し無事でしたが、お父様や祖父母は残念ながら津波の犠牲となってしまいました。
自宅も津波で流されて行ってしまいました。
お父様は仕事の関係で前日から出かけていたため、当日、登校前に顔を合わせることはなかったようです。
このときお父様はまだ37歳という若さでした。
その後、お父様とおばあ様は発見されたようです。
夜は避難所で兄弟3人と夜を明かし、仕事で大船渡へ出かけていて無事だった母親の陽子さんとは翌朝再会しています。
野球の楽しさを教えてくれて尊敬していたという父親を突然なくした朗希少年の失望や心を想うと身につまされます。
お父様は、小学生の朗希少年とキャッチボールをしていたときに「将来はプロになれる」と話していたそうです。
お目が高いですね。
その後の歩み
お母様おひとりで今後のことを想うと不安だったでしょう。
震災直後
被災後は、お母様の親族がいらっしゃる大船渡市内の老人ホームへ転居します。
老人ホームが被災者用となっていたのでしょう。
同級生は朗希少年のことを「昔は大人しかった」と言います。
野球を通じて仲良くなっていったふたりは、地元の大船渡高校へ進学して甲子園を目指します。
この時すでに非公式ではありますが朗希少年163キロの快投を見せています。
高校野球で監督が批判を受ける
岩手県大会での投球数は
- 7/16の2回戦で19球
- 7/18の3回戦で93球
- 7/21の4回戦で194球
- 7/22は投球せず
- 7/24の準決勝で129球
そして、いよいよ迎えた花巻東高校との決勝戦。
國保監督はなんと佐々木朗希を肩や肘の故障予防として登板させずに結果、12-2で敗退し痛烈な批判を浴びています。
その決勝戦での登板回避があったからこそ今こんなにも活躍できているのかもしれませんし「野球が人生に楽しさを与えてくれた」との発言につながっているのかもしれません。
かつての朗希少年は言います。
「僕はたくさんの人に支えられた。今は勇気や希望を与える立場。当たり前の日常が突然無くなるのがこわい。」と。
心の傷は深く残ったままですが、野球をとおして多くの人に今度は明るい希望を与える立場となっているのは素晴らしいことだと思います。
佐々木朗希父の職業や家族構成は?
土曜日も更けまいりましたがWBC熱い夜よ!チェコ🇨🇿戦全発投手、佐々木朗希選手165キロでますか?震災の日の暗い出来事を吹っ飛ばして頂きたいです。日本中を幸せに‥応援しますよ〜ピザとコーラ準備🆗欧米化といいの美味いしい、ブヒー!始まるで!頑張れ日本👏👏👏🥳👍 pic.twitter.com/7zhuLxRAnz
— ミッキーにゃん (@micky_nyantan) March 11, 2023
佐々木朗希選手が3月11日にWBC日本代表としてチェコ戦に先発する。
2011年3月11日。岩手県陸前高田市でまだ9歳だった彼を東日本大地震が襲った。当時37歳の父功太さんと祖父母が津波に流され帰らぬ人となった。
「僕もしっかり向き合って前に進みたい」と語る”令和の怪物”の活躍から目が離せない。 pic.twitter.com/BzweMwMVbL— 𝙎𝘼𝙆 (@saksak_inv) March 10, 2023
岩手県陸前高田市で幸せに暮らしていた佐々木家を襲った突然の地震、津波。
自然を前に人々は成すすべもありませんでした。
佐々木朗希投手の父親の職業は?
父親の職業について質問された佐々木投手は「人生の節目に寄り添う仕事」と答えています。
実際、ご職業は「葬儀屋」さんとのことですので、味のある表現をされていますね。
お父様は、野球経験はなかったようですが、よくキャッチボールの相手をし、保護者参加の行事ではホームランを打っていたようですので運動神経が良い方だったのでしょう。
身長も181cmと高身長でした。
ちなみにお母様は、保険の営業をされているようです。
ご両親揃って、人生に携わるお仕事をされているのですね。
佐々木朗希投手の家族構成
被災当時、佐々木家は、祖父母と父母、それと朗希少年の兄と弟の7名家族でした。
身体は見えなくなっても佐々木投手は学生時代からずっと毎朝、父親と祖父母の写真に手を合わせて「行ってきます」と挨拶をしているそうです。
また、入団交渉に同席した母親の陽子さんに関して「美人で若い」という声が多くあがっていたそうです。
お母様の作るお料理で「豆腐入りハンバーグが絶品」と佐々木投手は話しています。
父親は、フレンドリーな方だったらしく市内では名が知れた方だったとのことです。
当時の戸羽太陸前高田市長との親交もあり、市長曰く「有言実行で、仲間作りが上手。気さくで行動力があり、先輩も後輩も皆がついていく」と称賛しきりです。
まとめ
m(__)m
東日本大震災から12年です。。。
本日の14時46分は黙祷を捧げましょう。WBC侍ジャパン今夜のチェコ戦は震災で御親族を亡くされた佐々木朗希選手が先発します。
特別な想いを持ってマウンドに上がる佐々木朗希選手を全力で応援したいと思います🇯🇵 pic.twitter.com/q1BSPLIoRQ— 🎌たっちゃん鯖倶楽部営業部長No.3 🍶🐟️🐶🐱💉×5 (@T5Jesv) March 10, 2023
ロッテの選手であり、WBCにも出場している令和の怪物こと佐々木朗希投手。
戦績ももちろん大変素晴らしいのですが、今から12年前には震災でお父様が犠牲になっています。
その同じ3月11日にはWBCの舞台に立ち勝利し、試合後のインタビューでは涙をこらえているようにも見受けられました。
今回は、お父様のご職業は何だったのかや家族構成についても「佐々木朗希震災で父が犠牲に?職業や家族構成は?」と題してご案内させていただきました。